ーロッパは15世紀末、完全に“海ブーム”だった。
理由は簡単。「陸路が長い・高い・危ない」の三拍子。
誰もが口を揃えてこう言った。
「もう海から行けよ。地球丸いし(※当時は半信半疑)」
◆ 1492年 ― コロンブス、超ポジティブ西回り旅(スペイン)
イタリア人冒険家、クリストファー・コロンブス(1451–1506)。
自信満々にこう言い放つ。
「大丈夫! 西に行けばアジア! ショートカット! バグ技みたいなもん!」
スペイン女王イサベル1世は、
“うーん99%無理だけど1%面白そう”精神で支援を決定。
そして 1492年。
コロンブスは大西洋を渡り、カリブ海に到着。
「ここ絶対インド! ほら、空気とかインドっぽいし!」
→ 全然違う。
だがスペイン王室は大喜び。
「よし! そこ全部スペイン領! やったなコロンブス!」
ポジティブが国家を動かした瞬間である。
◆ 1498年 ― ダ=ガマ、東回りでガチ勢ムーブ(ポルトガル)
スペインのカオスを横目に、
ポルトガルの ヴァスコ=ダ=ガマ(1460頃–1524) は
ただ静かに、淡々とアフリカ沿岸を南下していた。
彼の仕事ぶりは海版サラリーマン。
「ちょっとインド行ってきます」
「じゃ、香辛料の契約決めて戻りますね」
そして 1498年。
インド・カリカット到着。
ポルトガル王室「え、もう着いたの? 仕事早すぎ?」
以降ポルトガルは“海の経済ヤクザ”の勢いでアジア貿易を独占した。
◆ 1521年 ― マゼラン隊、世界一周チャレンジ(無茶)
次に現れたのは、伝説の筋金入りチャレンジャー
フェルディナンド・マゼラン(1480–1521)。
「世界一周? 行ける行ける! 風が吹けばなんとかなる!」
彼の精神はだいたい“旅系YouTuber”。
案の定、途中で戦死するが、部下たちが 1521年 に世界一周達成。
スペイン王室「地球…丸かったんだ……ガチで……」
大航海時代の理解度がここで一気に進む。
◆ 1534年〜 ― フランス・イギリス、完全に後から来て荒らす
●フランス
ジャック・カルティエ(1491–1557) が 1534年 に北米到達。
鹿を見て即決。
「うん、ここフランス領で。理由? 鹿がいるから!」
そう、フランスは領土決定がだいたいノリ。
●イギリス
フランシス・ドレーク(1540頃–1596)、
1577〜1580年 に世界一周に成功。
しかも途中でスペインの船を合法(?)的に略奪しながら帰還。
イギリス王室「よくやった! これから君は“政府公認海賊”だ!」
肩書きが既におかしい。
◆ そして始まる、史上最大の“地球ご近所トラブル”
新大陸では各国が好き放題に旗を立て始めた。
・スペイン「ここコロンブスが来たからスペイン!」
・ポルトガル「いや教皇が線引いたからそこウチのね?」
・フランス「ここフランスっぽい空気してる」
・イギリス「昨日ここでティータイムしたからイギリス領!」
先住民「……いや、誰?」
世界史「治安終わった。」
海では船同士がにらみ合い、
陸では“旗立てたら勝ちバトル”が勃発。
地球はついに「巨大オープンワールド争奪ゲーム」と化した。
◆ 海の向こうが、世界のメインステージになる
夜の航海。
コロンブスも、ダ=ガマも、マゼラン隊も、カルティエも、ドレークも
なぜか同じ顔で海を見つめる。
――この先に何あるんだろう?
深い考えはなかった。
ただ好奇心とノリと野心だけで、世界は勝手に広がってしまった。
そして歴史はこう記す。
「15~16世紀、人類、テンションで世界を広げる。」
続きはこちら、シーン8:革命の嵐、国王たち震える

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